昨年は“高校野球100年”との触れ込みで、節目の年だという報道を多く目にした。しかし長年高校野球を見ている私にとって、もしかすると今年こそが何かの区切りとなるのではないかという、どこか風向きが変わるような何かを感じる年だったので、今年の最後にこの場に記しておきたい。

まずは数年前から分かっていたことだが、PL学園の野球部が大阪府大会の1回戦で敗退して休部となった。テレビの映像を通しても現場でも、PLの強さとしたたかさを幾度となく見せつけられてきた世代の私にとって、ひとつの時代の終焉と感じずにはいられない出来事だった。栄枯盛衰は世の常とはいえ、すべてのチームが目標としてきたチームにしては、あまりに寂しすぎる最後だった。

“PLの応援だけはほかのどことも違うから、早いうちに一度見に行ったほうがいい”とは、20年以上前に私の知人が言った言葉である。実際にPLの試合を見に現場へ行き、その言葉の意味を理解した。最近の人の中には知らない人もいるだろうから、敢えて説明しておくと、チャンスのときのウィニングの曲にあわせて“レッツゴー、PL、GO!!”と言うと、PLだった人文字がポンポンの色のGO(KO)に変わる。世界各国のサッカーも見てまわる趣味のある私だが、これほど統率の取れた応援は世界中でPLだけだと思う。

そしてPLのブラスバンドが演奏する曲がまた独特だった。コンバットマーチばかり演奏していた時代にあって、アラレちゃん、聖者の行進、ビクトリー、コスモ(コスモタイガー)、ヤサカ、ツァラ(ツァラトゥストラはかく語りき)、go for it、5.1コールなどなど。最近では(21世紀以降)ヤッターマンやルパンも演奏していた。どの曲も聞けばすぐにPLの応援だと分かるものばかりなのだが、その中でも私の記憶に強く残っているのは、1987年春の選抜・準決勝の東海大甲府との試合の延長14回表の攻撃中に流れていたツァラである。大雨の中でおこなわれていた日立工業との試合で流れていたノックアウトマーチも印象深い。

PLの応援が凄いのは、子供でも聞いたことのあるような曲でスタンドにいる観衆を味方につけておき、チャンスになると演奏のテンポの違うウィニングマーチを演奏すること。アジテート(扇動)するのであれば、智弁和歌山のようにチャンスを迎えるとテンポを上げるほうがいいと思うものだが、なぜか観衆はチャンスのときのウィニングマーチにあわせて手拍子をしてしまう。その声援が過去にPLの選手を後押しし、奇跡のような逆転劇を何度も演じてきたことは、ご存じの方も多いことだろう。

ほとんど語られないことだが、PLには軟式野球部も存在しており、全国制覇の経験もある。そして軟式が全国大会に出場すると、試合会場には少人数だがブラスバンドも駆けつけて硬式と同じ演奏をしていた。様々な理由があってこのようなこと(休部)になるであろうと感じていた私は、軟式の試合とはいえ3年前に高砂球場でPLの応援を聞くことができてよかったと今さらながらに思う。そして硬式野球部が休部となった今、軟式野球部は今後どうなるのだろうか。

現場でPLの試合を見ていて印象に残っていることは、攻撃は作戦がオーソドックスだったこと、そして守備では内外野の中継が素早くて正確だったことと、フェンスからはね返ってくる打球を外野手が素手で処理していたことだ。テレビで見ていた頃には、まだファウルグランドの広かった甲子園球場の捕邪飛で一塁走者が二塁へ進塁するのを見たこともある。サッカーではこの選手はどこを見てプレーしているのだろうと思わされることは多いが、野球でこの選手の視野は私と違うと思わされたのはPLだけだった(その後、私の視野や視点が変わったこともあって、野球でどこを見ているのだろうと思うことは、ほとんどないが)。

このPLの試合を、もう見ることはできないのだろうか。見ることができないと思えば思うほどその記憶が美しいものになり、そして忘却の彼方へと去ってしまうことが寂しくてならない。

そう思っていた矢先、選手権の最初の試合で佐久長聖のブラスバンドがビクトリーとウィニングマーチを演奏していた。たしか佐久長聖は過去にビクトリーを演奏していたことがあったと記憶しているが、監督さんがPLの関係者なので、PL野球を継承してほしいと願わずにはいられない。

PLの休部と時期を同じくしてオンエアーされたアメトーークの高校野球大好き芸人だが、さすがに3度目とあってネタ切れ感は否めなかった。よく演奏される応援歌を倍増してベスト20にしても、球場に入り浸っている私にはどれも聞き覚えのある曲ばかりで、インスパイヤーされる歌は一曲もなかった。応援歌に関しては、内容が昨年のオンエアーととほとんど同じだったので、同じことを感じた人も多かったのではなかろうか。

個人的な意見を言うと、県ごとに過去10年間に演奏した曲のベスト10をやってくれたら、千葉県代表はチャンス紅陵が確実にベスト3に入るはずなので、マニアックになり過ぎるが見ていてもっとおもしろかったと思う。沖縄県ならハイサイおじさん、高知県ならよさこい節(最近明徳義塾は演奏しないが)、そして我が岡山県なら一部のチームが演奏する童謡・桃太郎など、その県でしか聞くことのできない曲も多いはずだが。

話は変わるが、今年の地方大会では審判の判定が物議を醸した。いったんは併殺で試合終了としておきながら、協議の結果これを訂正してファウルで打ち直しとなり、その後試合の形勢が逆転したのである。これがどこか別の県であれば、たいして何も思わなかっただろうが、私の住む岡山県大会の、しかも決勝戦で起こった出来事というのは、いささか恥ずかしいことというほかない。

そして“協議の結果”と書いてはみたが、いったんは審判がフェアのジャッジをしていたのだから、それはまっとうな判定だったわけだ。これに対して主催者が口出しをし(たのかどうかは分からないが)、試合終了となるはずの整列をしたところでアピールを認めて(そもそもアピールは誰がしてもいいものではないのでやり方にも問題があったが)審判がネット裏に集まり、協議をおこなったようだ。この件では事後に主催者(審判委員長)が不手際を認めたのだが、それなら最初からその不手際を回避する術はなかったのだろうか(※審判委員長は事後のコメントでビデオは見ていないと言っていたようだが)。

たとえば、もしこのプレーが無死一塁からだったとして、二死無走者になった後だったとしたら、投手が素早く次の投球を投げて相手のアピール権を喪失させておけば、このプレーは記録には併殺として残っていたのだろうか。今回のようにイニングの攻撃終了となるときは、どこからが次のプレーなのか判然としない状況になるが、いつまでアピールを認めていいことになっているのだろう(常葉菊川v八幡商のときに出た話だが)。

いずれにせよ、アピールする側は送球が一塁に渡ったときに即その意思表示をするべきだと思うし(打者はしていたのかもしれないが)、だらだらと整列を始めて一部の選手が並んだ状況になって、ようやくちょっと考え直させてほしいというのは、スポーツのジャッジとしてはあり得ないことだろうし、審判も間違ったジャッジをしたと言うのなら、即座にその旨を意思表示するべきだろう。整列するまで考え込まなければフェアかファウルかを判断できないようなプレーではなかったはずだ。

そして付け加えると、実際に現場に行っていた人から聞いた話だが、この協議の間に球場で飛び交った野次は甚だ聞くに堪えないものだったようだ。それもスタンドからだけではなかったという(選手が暴言を言っていたという意味)。サッカーの審判は一人でやるので、集まって協議などふつう存在しないが、サッカーのプレー中に審判の判定に異を唱えれば即刻警告、あるいは退場だろう。映像を見ていて聞こえてくる協議中の声を聞く限り、サッカーであれば全員警告対象のように思えるし、試合ができなくなる可能性もある(退場者が相次いで7人に満たなくなること)。

そんなこんなで全国ニュースでも取り上げられて、審判団のレベルの低さが知られることになり、さらに選手権大会に出場したチームが4点リードからつるべ打ちされての逆転負け。大会前には今年の岡山県代表は投手がいいともっぱらの評判だったが、そうではないことが白日の下にさらされた。地方大会で対戦した各打者の水準が、単に全国レベルに達していなかっただけのように思えた。理由もなく突然制球を乱す悪癖も昨年から改善されておらず、選手権出場までの経緯を考えると、県大会決勝で負けておいたほうがよかったとすら思えてしまって現場にいた私は恥ずかしかった。

そして大会終了からしばらくがたっても話題にのぼっていたのがタオル回しとロッテの応援。結論から言うと、球場全体をタオル回しの渦に仕立てた段階で応援が勝ったということなのだろう。たしか東邦の9回裏の応援は“We are ・・・、we are ・・・”と繰り返したあとでSHOW TIMEを演奏したはずだが、その段階で一塁側のスタンドは異様な雰囲気だった。その証拠に攻撃が始まるときに、東邦ベンチの選手数人が背後を振り返って、“なんだ、この声援の大きさは”という様子でスタンドを見ていたのだから。

そしてプレーが続くごとに回されるタオルの数が増えていき、やがてスタンド全体でタオル回しをするようになったのだが、これこそが応援の力だと思うし、いかに球場に来ている人を味方につけるかが重要なのだと改めて思わされた。ただ、帰宅してテレビで確認すると、高野連の肝いりで始めたネット裏のドリームシートに座っている児童諸兄も、途中からタオルを回していたようだ。さすがに招待された身であのような行為は慎むようにあらかじめ伝えておいたほうがいいように思えた。

ちなみに八戸学院光星の#1が試合後に“球場全体が敵にまわっていた”と語ったようだ。このとき私は最後の二死二塁の場面でも、八戸学院光星の外野手の守備位置を見て“この状況(=追い上げられてタイスコアになった状況)”だと、打球が外野に飛んだら二塁走者は本塁を狙うだろうから、外野手はもっと極端に前に守ってもいいのにな”などと真剣に考えていた。私のように一塁側の内野席にいて、敵にまわっていたわけではない人もいるってことを知っていてほしいと思うし、これからも野球のことを好きでいてほしいと願わずにはいられない。いずれにせよ、この試合が決定的なきっかけとなり、これからは高校野球を見るときはロッテのチャンステーマを聞かない日はなくなるのだろうと確信した。

思うままに今年のことを振り返ってみたが、今年一年お付き合いくださった皆様には深く御礼申し上げます。来年も変わらぬスタンスで現場へ足を運びたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。