高校野球観戦日記

高校野球を見たときことをつづります。 このブログはおもに毎年春と夏に更新しています。テレビに映らないプレーを見るのが宗旨です。

2015/07

第97回広島県大会準々決勝・西条農v広陵

前の試合に続いて次の試合もネット裏から見ることにした。上空の風が少し弱まり、空は明るくなってきた。
序盤は広陵が押し気味に試合を進め、毎回走者を出すものの西条農の好守もあって0-0のまま試合は中盤まで進んだ。ともに無得点で迎えた4回裏、広陵は二死一二塁から1番の適時二塁打で1点を先制すると、5回には一死満塁から7番の中犠飛と8番の適時二塁打で3点を追加して試合の主導権を握った。反撃したい西条農は8回表、一死満塁から3番の中前適時打で1点を返して追い上げたが、その裏広陵は4番の右翼ポール直撃の本塁打で2点を追加して6-1とし、9回表は一死から継投策で左投手を登板させて逃げ切った。
広陵は15安打を放つ打撃力を見せつけたが、序盤は走者を置いてあと一本が出ずもどかしい展開だった。リードを奪ってからは#1が安定した投球を見せたと思うし、内外野の守備は鍛えられていた。
西条農は8回表に1点を返した後、さらに一死満塁で打順が4番に回っただけに、ここで一気に追い上げたかった。そして打順が中軸に回った3回表の好機で先制しておけば、また違った展開になっていたと思う。西条農の外野手はカウントによって守備位置を変えており、初球と打者を追い込んでからとでは守っている位置が3人とも違っている場面があった。細かいところは徹底されていると感じた。
余談であるが、私の前に座っていた方はストップウォッチやスピードガンを持っておられたので、おそらくスカウトか何かをされているのだろうと思いました。お疲れ様でした。

第97回広島県大会準々決勝・広島工大v向原

帰宅して上田昭夫さんの訃報を知った。ご冥福をお祈りいたします。
ゆうべ岡山県地方は激しい雨が降ったが、明け方以降はくもりの予報だったため、高速で尾道まで走ってしまなみ球場へ行ってきた。しまなみ球場へはプロ野球の公式戦を見に何度か行ったことがあるが、尾道バイパスから降りる道の風景が少し変わっていたように感じた。球場に着いたのが8時半で、まだ人影はまばらで少し早く着き過ぎたようだった。しばらく車の中で時間をつぶしてからスタンドに入場した。
上空の雲が勢いよく風に流されており、強い風がレフトからライトへ吹き抜けている。グランドはさほどぬかるんでおらず、プレーに支障はなさそうだ。やや薄暗い中で試合が開始された。
向原が2回表に死球と盗塁、内野ゴロで迎えた一死三塁から6番の中犠飛で1点を先制したが、広工大はその裏6番の右越本塁打で同点に追いつく。さらに広工大は3回裏、敵失と安打、暴投で迎えた無死二三塁から2番の右越三塁打で2点を勝ち越すと、この回さらにセーフティスクイズと犠飛で2点を追加して5-1と一気に4点のリードを奪った。その後は両投手がよく投げて4点差のまま終盤に入り、8回表に向原は内野ゴロの間に1点を返して追い上げたが、その裏広工大も9番の左犠飛(邪飛)で1点を追加して6-2とし、試合はそのままゲームセットになった。
向原は無安打で効率よく先制しただけに、その直後に本塁打であっさり同点に追いつかれて流れをつかむことができなかった。3回裏の守備では失策や暴投、野選などのミスが相次ぎ、まとめて失点したのが痛かった。
広工大は3回裏に一気にたたみ掛ける攻撃が見事だった。3回裏の2番の勝ち越し三塁打は相手外野手が浅めに守っていたが、試合序盤に吹いていた強風が後押しして打球が伸びたため、右翼手のグラブに当たったものの捕球できず三塁打になった。
余談ではあるが、この試合の一塁審判は女性の方のように見受けられました。お忙しいなか、お疲れ様でした。

番外編・わがふるさとのベストゲーム7月21日放送分

今日某国営放送のBSでオンエアーのあったわがふるさとのベストゲームを見た感想をまとめて書いてみることにした。次回放送は7月23日だが、岡山県のベストゲームは65年春の決勝戦(岡山東商v市和歌山商)と99年夏の準決勝(岡山理大付v智弁和歌山)でほぼ決まりだろうね。

1995年夏2回戦・旭川実v鹿児島商
アメトーークに続き、ここでもミラクル旭実の試合。アメトーークを見た人には、解説不要だろう。実は私はこの試合はテレビでも見ておらず、結果をあとで知ってへぇと思ったわけで。すごい逆転の試合であることに疑いの余地はないんだろうね。
野球と戦争とを安易に結びつけるのは、戦争を知らない世代としてどうかとは思うが、毎年8月15日には平和に感謝するという思いを大切にすることが、これからの高校野球の発展にもつながると思う。平和でなければ、野球に限らずどんなスポーツもプレーできないわけだし。

2004年夏決勝戦・駒大苫小牧v済美
この試合は現場の三塁側アルプス(駒大苫小牧側)で見ていた。それまでの試合を見て駒大苫小牧の打力は分かっていたつもりだったが、この決勝戦で改めて凄まじい打力だったことを見せつけられる思いがした。試合の終盤は球場全体が騒然となり、駒大苫小牧を強く後押ししていたような印象がある。それにしても、両チームあわせて40本近い安打が出ると、スコアをつけるのが大変そう(当時は細かい記録は付けていなかったもので)。

1984年夏決勝戦・取手二vPL学園
突然の降雨のため15分くらい遅れて開始された決勝戦。これが桑田に影響を与えたことは否めないだろう。9回裏に同点本塁打を打ったのはPLの清水哲。大学進学後の試合中に大怪我をしてしまい、現在は車椅子の生活をしながら活動されているようだ。障害者となったことは気の毒でならないが、彼でなければ伝えることのできないことが必ずあるはず。今後のご活躍を祈っていたいと思う。

2003年夏決勝戦・常総学院v東北
この試合は3月に放送していた『怪物エースを追いつめた夏』で取り上げられていたので、解説不要では。それにしても、宮城県が優勝旗に手が届こうかというときに、またも勿来の関の手前で茨城県にかすめ取られたという印象は否めないと思うがいかがだろうか。

1973年夏2回戦・銚子商v作新学院
これも昨年放送された『ヒーローたちの名勝負怪物江川を倒せ』という番組で概要を知っていたので、いまいち新鮮味がない。そういえば銚子商は1985年から10年おきに選手権に出場していたが、今年はこのジンクスが途絶えたようで残念。

それよりも、習志野と拓大紅陵の合同野球応援コンサートの様子が映し出されていた。この両校に限らず千葉県にはブラスバンドのレベルが高いチームが多い。私が千葉県大会を好んで見に行く理由のひとつがブラスの演奏が上手だからとまでは言わないが、どこのチームが応援しても同じ曲ばかり演奏する岡山県とは一線を画していることだけは確か。習志野v拓大紅陵のような組み合わせの試合に現場で立ち会うと、グランドを見るべきなのかスタンドを眺めるべきなのか考え込んでしまうよね・・・、実際にはスコアを付けているからグランドだけを見つめているのだが。今年は行けそうにないが、また千葉県大会を見に行きたい。

1975年夏決勝戦・習志野v新居浜商
ヤクルトの小川前監督が出ていた。決勝戦が雨で5日くらい順延になったため、タイガースの試合日程を変更して、高校野球を無理やり開催した年だってことだけ知っている。
そういえば、甲子園球場の改修工事に伴ってファウルグランドがせまくなり、一邪飛で本塁生還とか、捕邪飛で一塁走者が二塁へ進塁する場面がほとんどなくなってしまった。むかし野球力の高いチームは、甲子園球場のファウルグランドの広さを生かした走塁をするチームが多かったものだが。今では守備のときに送球を後逸してもバックアップすら必要ない感じになってしまい、考える要素や意識付けの高さが求められなくなったことが惜しまれる。

1985年夏1回戦・鳥取西v日大三
テレビで見ていたと思うが、あまり記憶がない試合だ。

1988年夏3回戦・米子商v福岡第一
この試合はテレビで見ていた。大会第10日の3回戦で、第四試合だったかと。福岡第一には前田行長と山之内健一がいた。山之内は1回戦の法政二との試合で、凄まじい打球を放っていた記憶がある。
米子商は49番目の登場だったにもかかわらず、初戦の2回戦を完封勝利。ただ、米子商の投手・木田は肩を痛めており、痛み止めの注射を打って登板していたが、その効き目が7回くらいで切れるため終盤の投球に不安が残るとか聞いた記憶が。
福岡第一はこの試合の前の日にも試合をおこなっており、2回戦の福井商との試合は延長13回のもつれた試合(福井商の吉沢がいい投手だった)。日程の変更があったため、前日の福井商v福岡第一の試合も第9日の第四試合だった。その翌日の試合だったので疲労が蓄積していたことも影響していたと思う。むかしは連戦になろうがお構いなしの、本当の意味でのフリー抽選を毎試合ごとにおこなっていた頃が懐かしい。
ちなみに米子商というけれど、実は私立で現米子松蔭。

1998年3回戦・浜田v帝京
この試合は、見れていない試合。あとで予想外の結末になったと聞いて驚いた。帝京の遊撃手に、森本稀哲がいる。そういえば、赤星とか森本は甲子園に出たときは遊撃手だった。和田毅の投げ方って、むかしも今もあまり変わっていないと感じる。

2003年夏3回戦・江の川v沖縄尚学
この試合のスコアが1-0だったことは知っていた。でもこの大会で江の川の試合を挙げるのなら、好投手松村のいた聖望学園との試合(準々決勝)でもいいような気がするが・・・。エースの木野下がサヨナラ安打を放ったし、冷静なプレートさばきで二塁走者の盗塁を三塁へのけん制で憤死させたはず。淡々と投げるいい投手だったが、準決勝で敗れたときには涙していたそうだ。まさか自分が泣くとは思わなかったと、彼は試合後に語っていたとか・・・。

1985年夏準決勝・宇部商v東海大甲府、
この時代の宇部商は、東海大甲府と2回対戦している。この大会では田上と古谷の2人の投手を擁していたが、どちらもいい投手だったな。玉国監督の姿が映ったが、懐かしいの一言。劇的度や衝撃度は、88年夏の3回戦のほうが数倍上。1点ビハインドの9回表に、宮内の逆転3点本塁打がバックスクリーンに飛び込んだ。当時は大八木監督の東海大甲府も本当に強かった。
玉国監督と言えば、あまりに三者凡退が続きすぎてベンチでふて腐れていた中京との試合が忘れられない。あまりのふてぶてしさのため、某国営放送に苦情の電話が多数かかってきたとか(本当か?)。宇部商は9回表まで一人の走者も出ず中京の木村に抑え込まれていたが、26人目の打者に初安打が出て犠打で迎えた二死二塁から、1番坂本が逆転の2点本塁打。こんな試合もあるのかと、度肝を抜かれるとともに野球観を根底から覆された試合。さすがに木村龍治が少し気の毒に思えた。
玉国監督は、二死一塁からは盗塁、一死一塁からバントが多く、無死から走者が出ると強攻の多い監督さんだった。弱気は最大の敵、津田の話はいい話だね。また津田プレートを見にマツダスタジアムへ行きたいと思った。

1985年夏決勝戦・宇部商vPL学園
コメントの必要がないくらい有名な試合。PLを球場全体、国民全体が後押ししていたような試合だった。神懸かっていたというのはこういうことを言うのでは。でもこの当時のPLと春も夏も互角に勝負しているのだから、この年の宇部商は強かった。

1975年夏1回戦・日南v岡山東商
この試合は、全然知らなかった。赤ヘルって、広島カープしか知らない。岡山東商の寒川投手も、地元のことなんだけど知らない。しかも優勝候補とか強豪と言われてる。当時はそういう時代があったのかもしれないが、にわかには信じがたいように思える。
延岡学園のピンクが取り上げられていたが、私が最初にピンク色のユニフォームを見たのは遊学館だったかと。

2013年夏準々決勝・延岡学園v富山第一
この試合は現場で、一塁側の内野スタンドで見ていた。延岡学園の演奏するあまちゃんと、富山第一の演奏するダイヤモンドヘッドの演奏が凄まじかったことしか記憶にないといってもいいくらい、終盤は白熱した試合だった。現場で見た試合を、テレビの映像で改めて見るととても新鮮に感じる。テレビでは映ることなどないだろうが、9回表のプレーのやり直しの時のスタンドの怒号は聞くに堪えないものだった。
ちなみに、オンエアーでは“延岡学園は1回戦、2回戦と勝ち進み・・・”と紹介されていたが、延岡学園はこの大会は2回戦からのスタートで1回戦はなかった。この試合で延岡学園は、富山第一の先発は宮本ではないと読んでいたらしいが、これはすごい読みだと思う。現場で私は宮本が先発ではないと知って驚いていた。
ゲームセットになる最後の場面、二ゴロ4→6の二塁はセーフなんだよな・・・。打撃記録は二ゴロ野手選択、6→3悪投(遊失)による生還でゲームセット。帰宅して記録を確認するまで、二塁はアウトだと思っていた。サヨナラ勝ちになる場面でFcのランプが点灯したかどうかを確認する余裕など、とてもなかった。

1974年夏準々決勝・鹿児島実v東海大相模
この試合は話だけ知ってて、本で写真を見たことがある。終盤以降はナイターの試合だったんだよな。定岡正二がけがをしながら投げたとか(違ったか?)。甲子園球場のダッグアウトが映ったが、ベンチの椅子が木製なのに驚いた。
それはさておき、むかしはニュースを優先させていて、高校野球中継は時間がきたら終了していたとは知らなかった。某国営放送が、高校野球を完全中継するきっかけとなったのがこの試合だったとはね。今だったら、ニュースの時間になったからといって高校野球中継を終了したら苦情が殺到しそうだが。
中馬庚が野球という言葉をつくったことは、クイズベタだから知っていた。正岡子規という説もあるみたいだけれど。

19894年夏決勝戦・樟南v佐賀商
日曜日の試合だったので、この試合は自宅のテレビで見ていた記憶がある。樟南の捕手だった田村恵は、現在広島球団のスカウト。大瀬良大地のドラフトでくじを引きに出てきたから有名なのでは。
この試合は延長戦になって10回表に満塁本塁打が出たのかと思っていたが、意外にも9回決着の試合だった。私の記憶なんて、いい加減なものだねぇ。
櫨山監督、久保監督、いずれもお元気にされている姿を見れてよかった。

1965年夏決勝戦・三池工v銚子商
私が生まれる前のことなので、当然ながら知らない試合。三池工が大牟田市にあるとは知らなかった。ただ、原貢(故人)が率いていたことだけは知っている。ふすまを開ける練習などをしていたとはユニークだと思う。
銚子商の選手で木樽が出てきた。木樽ってロッテにいた木樽?!顔を見たのは何十年ぶりだろう。いまは何をやっているのか知らないが、お元気そうで何よりと思った。

1992年夏決勝戦・西日本短大付v拓大紅陵
拓大紅陵の試合が、ここで出るとはね。9回表のおせおせ紅陵(かっとばせ)の場面は、一生忘れることができない。森尾が泣いてしまって、投球できなかったシーンとも言うのだろうが。決勝点が入る2回裏のスクイズだけど、実は拓大紅陵の捕手のミットが三塁走者に触れているのだが、右手でボールを持ったままだったため生還が認められた。番組の映像では、ちょっと分かりにくいが。
そういえば、森尾って社会人に行ったけど、結局プロには進まなかったのが残念。怪我したとか聞いた記憶もあるが。この試合で西日本短大付は、外野手が守備位置を状況に応じて変えていたことが解説されていた。やはり、予測したポジショニングのほうがずっとファインプレーだと思う。
拓大紅陵の立川が“準々決勝で決勝本塁打を放った立川”と紹介されていた。立川はその後たしかプロに進んで、千葉ロッテでプレーしていたはず。もう少し補足すると、拓大紅陵の準々決勝の相手は徳島県代表の池田だった。そして9回表に、夕闇の迫る甲子園球場で逆転の2点本塁打を打ったのが立川だった。この本塁打が出たときに演奏されていた(?)のが燃えろ紅陵で、以来池田の県内のライバル徳島商が燃えろ紅陵を演奏するようになったとか・・・?(笑)。

第97回岡山県大会3回戦・東岡山工v水島工

今日はカンカン照りのとても天気のいい一日で、朝から球場へ向かうことにした。自宅を9時前に出発して車を20分ほど走らせ、球場の駐車場に到着した。今日は県内で集客力のあるチームの試合がおこなわれないので、思っていたとおり球場周辺の道路はすいていた。帰りのことを考えて駐車場の出口に近いところに車を停めて、スタンドに入場した。マスカット球場のスコアボードがLED表示に一新されており、文字がとても見えやすくなっていた。
前の2試合がコールドゲーム、しかも5回コールドと進行がとても早かったため、3試合目も眺めることにした。試合は水島工が1回裏、一死三塁から3番の適時打で1点を先制する。その後は東岡工が押し気味に試合を進め、毎回のように塁上に走者を出すものの、あと一本が出ない展開になる。グランド整備のあとの6回表、東岡工は2つの四球と2つの敵失で1点を返して1-1の同点に追いつく。同点となったあとで試合が一気に動き、水島工が6回裏に二死満塁から9番と1番の連続適時打で4点を勝ち越すと、東岡工は直後の7回表に先頭1番からの4連打と5番の中犠飛で3点を返して1点差まで詰め寄った。東岡工は終盤にも走者を出して期待を抱かせたが、最後は水島工の三番手投手(#10)が抑えきって5-4でゲームセットになった。
東岡工は6回表に無安打で1点を挙げて同点に追いついたが、このイニングの攻撃では走者が塁上にたまっていただけに、あと一本が出ていれば一気に逆転して大きくリードできていたはずだ。そして今日のマスカット球場は、珍しく強い風が朝からずっとレフトからライトに向けて吹きぬけていた。6回裏に水島工1番が放った適時二塁打は右翼手の頭上を越えたが、この打球は風が大きく後押ししていた。東岡工の右翼手も打球をよく追ったが、わずかに及ばなかったことが惜しまれる。東岡工は相手を上回る10安打を放ったが、最後は水島工の継投にかわされた印象だった。水島工の投手交代はもともと予定していたものかどうかは分からないが、いずれもいいタイミングだったと思う。

番外編・アメトーーク高校野球大好き芸人SP

今夜放送されたアメトーーク!の高校野球大好き芸人SPのオンエアーを見入ってしまった。私が現場で見ていた試合の映像も多々取り上げられていたので、ざっと感想をつづっておこうと思う。なお、このブログでは基本的に選手名を書かないことにしているが、今回に限っては個人名を具体的に書かせてもらうので、ご了承ください。それと、まだオンエアーを見ていない方においては、ネタバレの可能性があるのでお気を付けください。

幼少期のことだが、名古屋電気の工藤公康が無安打無得点を記録する試合は家のテレビで見ていた記憶がある。ノーヒットノーランという記録があるということを知ったのが、この試合だったはずだ。ちなみに完全試合を知ったのは、阪急ブレーブスの今井雄太郎が達成したときだったかな。愛工大名電の鈴木(イチロー)は、1991年春の選抜では投手として松商学園の上田佳範と対戦しているはずだが、テレビ朝日のためその映像が流れなかったのが残念(代わりに愛知県大会の映像が流れた)。

松坂大輔が2年生の夏(1997年)に神奈川県大会の準決勝で暴投してサヨナラ負けした話は有名だが、このときの捕手が上地雄輔ではなかったことを今日のオンエアーで知った。そしてその上地が、試合後にベンチで絶叫していたとは知らなかった。彼いわく、スクイズを外すというサインはないとか。三塁走者の動きを見て投球する瞬間に投手と捕手とで外すかどうかを決めるのは高等技術だが、上地の解説によると、捕手の動きだしが遅かったため、ぎりぎりの場所へウェストした松坂の投球に捕手のミットが届かなかったのだとか。なるほど、それを聞いてこの場面の映像をもう一度見ると、たしかに捕手の動きだしが遅いことが分かる。いずれにしても、上地はよくこの番組に出演してくれたものだと思う。何度も見る暴投の映像だが、彼の話を聞いてから見ると松坂のコントロールミスではなかったことがよく分かる。

そのあとで流れたダルビッシュが三振を奪う映像は、おそらく2004年夏2回戦・遊学館v東北との試合だろう。私はこの試合を三塁側内野席から眺めていたはず。それはさておき、その前年の夏、ダルビッシュを擁する東北は3回戦で平安と対戦したが、この試合で一塁走者が出ても一塁手をベースから離れて守らせていたとは知らなかった。これについて言及したかみじょうたけしは、恐るべしだ。ちなみに、2003年は台風が襲来した影響で駒大苫小牧の試合が8-0なのにノーゲームになるなど雨が多く、日程が3日も順延になったため、2日に分けて開催する予定の準々決勝を1日で4試合おこなった年だったねぇ。その準々決勝の日も途中で夕立ちに見舞われ、左中間スタンドにいた私は濡れねずみになった記憶が(笑)。

1982年夏の益田v帯広農の試合で4アウトがあったという話は聞いたことがあるけれど、ここまでがっつりと4アウトを映し出した映像を初めて見た。さすがにここまであからさまな審判の失策は、某国営放送ではリピート再生できないだろうね。この日の第一試合は日大二v八幡大付でもともと大会の2日目か3日目の夕方の試合だったが、試合中に突然の夕立ちに見舞われてノーゲーム再試合になり、第5日の第一試合に組み込まれたはず。そんな記憶が残っているので、益田v帯広農の試合もおそらくテレビで見ていたはずだが・・・。もし現場にいてこれと同じ場面に遭遇したら、今の私ならスコアの付け方が分からずスタンドで大騒ぎしていることだろう(笑:4アウトは記録に残さず無効だったか?)。そういえばこの年の大会では、東海大甲府v境の試合でアピールがなかったため境に入るはずの1点を審判が認めなかったことがあるのだが、同じ日の出来事とは知らなかった。

前橋商v日大三の試合で、前橋商にとみたこうき君という選手が2人いたという話は初めて知った。たしか2011年の聖光学院には、さいとうゆうき君という選手が2人先発出場していたはずだが。そして天理が初優勝するときの映像が紹介されたが、三塁ゴロを一度悪送球したあと、また三塁ゴロでゲームセットになるのは有名な話。某国営放送のわがふるさとのベストゲームでも天理初優勝の試合を取り上げていたが、一度目の悪送球は映っていなかったな。ただ、あれはガッツポーズというよりも、送球を受ける選手が捕球しやすくするために、打球を処理した選手がボールのありかを見せているだけだと思うが。

1998年夏の日大東北v宇部商の試合で、日大東北の左翼手の手がフェンスと地面の間に挟まった話は知っている。この試合のあとで、フェンスと地面の間にあった隙間を埋めたと聞いたような。そして去年の日大鶴ヶ丘はグランドの土を顔につけていたが、これは普段人工芝のグランドで練習をしているため、土に馴染もうとしているのが本当の理由と聞いた。かみじょうたけしが言っていた平塚学園の伝令の選手(三川君)の話は、ちょっと聞いたことがなかった。繰り返しになるが、かみじょうたけしは本当に恐るべしだ(私より現場へ行っている回数が多いように思える)。彼は昨年のオンエアーでは、日本文理の伊藤君(のお父様)のことを熱く語っていたと記憶している。そして2000年の那覇は有名というか、もはや伝説だろう。日程が合わず、左利きの捕手、三塁手を現場で見ることができなかったことが今となっては惜しまれる。このときの監督さんは、その後わが県に来ていたらしいのだが・・・(これ以上はこの場に書くのはそぐわないので差し控える)。

2006年夏の決勝戦が引き分け再試合になったことはとても有名だ。日曜日の試合は現場で見ていたが、再試合となった月曜日の試合は現場へ行くことができなかった。まぁ・・・、個人的な話になってしまうが、この翌月に挙式を控えていた私は予定が立て込んでいたので、これ以上の現場観戦がもはや不可能な状態だった。独身時代に見た最後の試合が決着のつかない引き分けの試合ってのは、今となってはいい思い出だね。駒大苫小牧の打者は四球を選ぶと静かにバットを置き審判の背後を通って一塁へ向かうと、長島三奈がその礼儀正しさを絶賛していたが、この当時の駒大苫小牧の素晴らしさはそれだけではない。カバーリングの素早さや、グランドにいる選手に対する控え選手からの細かい指示や声出しなど、ベンチ入りしている18人の選手が常にどんな形であれ全力で試合に関わろうとする。テレビにはそのほとんどが映っていなかったのだろうが、カバーリングの素早さやサインプレーのときの選手の動き方は日頃から高い意識付けがなされていると感心させられたものだ。

アンジャッシュの渡部が言っていた、常連客はファウルボールが飛んできても逃げないってのは、私にも当てはまるような気がする。ファウルボールはバットにこすれて回転がかかった状態で飛んでくる打球が多いため、まっすぐ飛んでくることは少ない。私がよく陣取る位置には打球がスライスがかかって飛んでくるので、落下点は打球が上がった瞬間にだいたい分かる。ちなみに私は何度か現場で打球を食らっている、いや、ファウルボールを捕球しそこなったことがある。

5回裏に食事、着替え、トイレ、仮眠するってのは、現場にいる人には分かる話だなと思った。私もむかし外野スタンドで見ていたころは、スタンドが空いていたら5回裏のあとでよく寝そべっていたものだ。今では一塁側内野席に陣取ることが多いし(ひじ掛けがあるため横になれない)、スコアをつけるのに忙しいため、5回裏終了後はグランドの様子をうかがいながら食事をしていることが多いかな。

トータルテンボスの藤田が言っていた、函館の久慈次郎(この人自体知らなかった)の像と旭川のスタルヒンの像が向かい合っているというのは全然知らない話だった。実は先月、スーパー白鳥を撮影しに函館へ行ったので、球場にも足を運んでおけばよかったと後悔(はまなすや北斗星まで狙ったのでそんな時間はなかったが)。オーシャンスタジアムへの行き方だけはチェックしていたのだが、惜しいことをしたものだ。

応援歌を紹介するときに流れた映像で、Tのマーチのときの映像は2010年準決勝・東海大相模v成田の試合で、ジョックロックは2012年夏の智弁和歌山v神村学園の試合だと思う。トップ10にポパイや暴れん坊将軍、タッチが入っていないのは意外な気がする(注:これら3曲を初回の攻撃で順に演奏する広陵をひいきにしているわけではない(笑))。そして岡山県ではほとんど聴くことのないsee offを、昨年は12チームも演奏していたとは思わなかった。そしてトップは大方の予想通りアフリカンシンフォニーだったが、演奏していたのはたったの15チーム。私が現場で応援を聴いている印象だと出場49チームのうち25チームくらいは演奏しているように思うが。

ジョックロックが魔曲と言われる所以として、2000年夏の準々決勝・智弁和歌山v柳川の試合が紹介された。この年の準々決勝は1点差の試合ばかりの接戦だったが、この試合は忘れることのできない試合のひとつだ。春の選抜でも準々決勝で対戦した両チームの再戦となったこの試合を、夕方の試合にもかかわらず大勢の観衆が帰らずにスタンドで見つめていたのは、好ゲームとなることを誰もが分かっていたからだ。

この試合の序盤は柳川がリードする展開となったが、前年もこの年も智弁和歌山は8回の攻撃で大逆転をした試合が相次いでいたことを知っていた私は6-2のまま試合が終わるとはとても思えず、8回裏の攻撃は特に集中して見ていた。にもかかわらず、反撃の狼煙となった3番武内晋一の放った本塁打を左中間スタンドで見ていた私には、そのときの打球音がまったく聞こえてこなかった。自宅のビデオを録画予約していたので、帰宅してから何度も見直したのだが、集音マイクは武内の打球音を確実に拾っている。あの瞬間だけ、私の意識がどこかへ行ってしまっていたのだろうか。現場で何百試合も見ているが、打球音が聞こえなかったのはあのときの武内の本塁打だけだ(私と名字が同じだからなのか?)。

オンエアーでは誰も言及しなかったが、この試合の終盤、おそらく9回裏の投球のときに香月は右手親指のまめを潰してしまい、その後は出血しながら投球を続けていたはずだ。外野スタンドから見ていた私にも、香月の投球にちゃんとした回転がかからなくなったことがはっきりと分かったと記憶している。スタンドはほとんどの人が地元に近い智弁和歌山を応援しており、途中からは私の前の景色が涙でにじんでしまって、香月の投球はほとんど見えなかった。今の私ならこんな試合に立ち会っても、涙を流すことなく淡々とスコアをつけてしまうのかな・・・などと思ってしまう。私にも若いころがあったということだね。それにしても、ジョックロックはこの数年前から智弁和歌山が演奏するようになったと記憶しているが、もとの曲が分からない謎に満ちた曲。前奏が聞こえてきただけで、現場にいるとアルプススタンドだけでなく球場全体が智弁和歌山を応援する雰囲気になる(=打者が打ちそうな予感がしてくる)と感じる。

なんだか結論のないまま放送を見た感想をつづってみたが、案外こういうのも面白いので、某国営放送BSのわがふるさとのベストゲームを見た感想も、また時間があるときに書きつづっていこうと思います。長文にお付き合いくださった皆様には、深く御礼申し上げます。
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