昨日からの体調不良のため、本日は4試合中2.5試合ほどをテレビ観戦。現場へ行くことができたにもかかわらず自宅でテレビ観戦したのは、2005年春の準決勝以来である。このときは3日前にW杯予選の日本vバーレーンを見に埼玉スタジアムへ行ったことが響き、甲子園球場で激しい頭痛に見舞われて帰宅を余儀なくされた。今回は雨のなか試合を眺めていたことがたたって、風邪気味になってしまった。遠征がつづくと体調の維持管理が難しい。ただ試合を眺めているだけとはいっても、こう頻繁に現場へ出向いていると身体には負担がかかるものだ。
そんなわけで今日は、自宅でのテレビ観戦の楽チンさを実感した一日だった。なんといっても、遅い時間に試合が終わってもそのあとで家に帰る必要がないのだから。早起きして現場まで赴く必要もない。これほど楽な思いをしてスポーツを見ることができるのだから、テレビの偉大さに感謝しなくてはならないだろう。
しかし試合を見ていて思ったのが、現場へ行かなくては知りえないことの多さ。テレビではグランド全体のうちのごく一部しか映像にならないため、野手全員の守備位置を知ることは不可能だ。試合前のノックも、当然のことながら映像になることはない(監督のインタビューが流されるため)。試合前のノックで外野手の肩の強さを知っておくことは、走者二塁の場面で外野へ打球が飛んだときの判断材料となるため非常に重要なことなのである。それを知らないまま試合を見ることは、考える要素なしで試合を眺めているのと同じだ。
結論として、試合がおこなわれているのと同時にどんなプレー(事実)が起こったかを知る分にはテレビ観戦でもよいのだが、なぜそのプレーが起こったのかを考えようとするとテレビでは不十分であるということだ。テレビでは投手の配球を説明してくれるし、打者の1打席ごとの成績も紹介してくれる。ただこれは外野スタンドに座っていても、試合を注意深く観察していれば知りえること。アナウンサーに言われて気がついているようでは、まだまだ甘いと言われても反論ができまい。そんなわけで、やはり現場へ行って試合を見るのがいちばんよいというのが私の結論である。今日は4試合中3試合が1点差の好ゲーム。最後の試合はナイターになった。そんな日に現場へ行けなかった自分の健康管理不行き届きを反省する次第である。次の週末は必ず現場へ行ってやる。
そんなわけで今日は、自宅でのテレビ観戦の楽チンさを実感した一日だった。なんといっても、遅い時間に試合が終わってもそのあとで家に帰る必要がないのだから。早起きして現場まで赴く必要もない。これほど楽な思いをしてスポーツを見ることができるのだから、テレビの偉大さに感謝しなくてはならないだろう。
しかし試合を見ていて思ったのが、現場へ行かなくては知りえないことの多さ。テレビではグランド全体のうちのごく一部しか映像にならないため、野手全員の守備位置を知ることは不可能だ。試合前のノックも、当然のことながら映像になることはない(監督のインタビューが流されるため)。試合前のノックで外野手の肩の強さを知っておくことは、走者二塁の場面で外野へ打球が飛んだときの判断材料となるため非常に重要なことなのである。それを知らないまま試合を見ることは、考える要素なしで試合を眺めているのと同じだ。
結論として、試合がおこなわれているのと同時にどんなプレー(事実)が起こったかを知る分にはテレビ観戦でもよいのだが、なぜそのプレーが起こったのかを考えようとするとテレビでは不十分であるということだ。テレビでは投手の配球を説明してくれるし、打者の1打席ごとの成績も紹介してくれる。ただこれは外野スタンドに座っていても、試合を注意深く観察していれば知りえること。アナウンサーに言われて気がついているようでは、まだまだ甘いと言われても反論ができまい。そんなわけで、やはり現場へ行って試合を見るのがいちばんよいというのが私の結論である。今日は4試合中3試合が1点差の好ゲーム。最後の試合はナイターになった。そんな日に現場へ行けなかった自分の健康管理不行き届きを反省する次第である。次の週末は必ず現場へ行ってやる。